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京都大学における最終講義「経済学における共感」

2006年2月18日、吉田キャンパスの法経本館にある法経第七教室にて行われた講義を、録音をもとにテキストにしました。作成にあたり、一部不明な点をご本人に質して改め、〔 〕内に言葉を補いました。なお、一部のパソコンを除き別ページで音声版をお聞きいただけます。(A.M.)

本山美彦教授京都大学最終講義

経済学における共感

2006年2月18日 於 法経第七教室

たくさんお集まりいただきまして、もうこの瞬間にセンチメンタルな思いにひたっております。ありがとうございます。思い起こすに18年前、ちょうどこの場所でわたくしの尊敬する小野一一郎(おのかずいちろう)先生が退官講義をなさいました。もう、そばで見ているだけでも緊張感が伝わってきて、体は振るえるわ声は震えるわで、あの豪胆な小野先生がどうして、と思ったんですけど、気持ちはよく分かります。小野先生がおっしゃったのは、忘れないうちに、玄関で靴を履くときに――ちなみにわたくしも今日、小野先生の真似をして今日おニューの靴をおろしてきました――小野先生曰く、家内が「くれぐれもみなさんによろしくとお伝えください。こういう馬鹿な人間ですけれども京都大学で長年務めることができたのは、すべてみなさんのおかげです」ということを〔言っていたと〕涙を流さんばかりにおっしゃいまして、「いい人やなあ」と思いました。実は、小野先生が緊張なさっていたのも意味がありまして、わたくしども、もともとは新渡戸稲造の流れを汲むそうなんですけれども、世界経済論〔講座担当者〕というのは全員短命に終ったんです。で、小野一一郎先生以前には、無事定年退職を迎えた方はいらっしゃいません。そのあと杉本昭七、わたくし、というふうに無事三人続けて定年を迎えることができたんですけども、行沢健三、それから松井清は、定年前にお亡くなりになったわけであります。

今、たまたま小野一一郎、杉本昭七、松井清、行沢健三の名前を出しましたけれども、〔わたくしは〕幸せでした。本当に、心から尊敬できた先生でして。尊敬ができるということ、自分が先生を尊敬しているということの意味が、自分でこう、嬉しいんですね。そういう先生のもとで勉強さしていただいた、ということが私の何よりの幸せではないか、というように思っております。ただ、わたくしはいい先生に恵まれたんですけれど、わたくし自身はいい先生、師ではなかっただろう、というように反省しております。というのは、最初に会ったゼミ生がちょっと信じられないほどできたんです。何人かいてますから恥ずかしいですけども、本人の前で褒めるのは。すごかった。こういうすごい連中の前で自分が先生としてやっていけるのか、というのが正直恐ろしかったわけであります。だから、そのとき決心いたしまして、また、ちょうどそのことを相談しました小野一一郎先生が、それを自分もそうだったと言って下さいまして。「教えるなんてことはやめろ、奪え奪え」と。とにかく、才能あふれる若者のみずみずしい感性の中で、彼らは自分の掘り出したものがダイヤモンドだということに気づいていないんだ、だが、われわれは幸いこれはダイヤモンドだということがわかる。だから、奪ったらいいんだ、と。「そうさせていただきます」、というようにして、今まで来たわけであります。ですから、わたくしの業績目録をご覧になったらわかりますように、ゼミ生だったらわかりますように、あのとき自分が勉強していたものが取られているんだということがわかるだろうと思います。

それで、今年になったんであります。これは、神様が与えてくれたんだろうと思いますね――この最後のゼミ生も図抜けております。信じられないほどのゼミ生で、もしかすると、わたくしが恐怖におののいた一期生を、もしかすると上回るかもわからない。というので、これは最後のチャンスだと思いまして、この一年間ものすごく勉強しました。「学者」というものになって三十何年になるんですけど、一番勉強したんじゃなかろうかと思います、この一年間が。そして、わたくしが毎週報告するんです、ゼミ生の前で。先生の前で報告するような形で、ゼミ生の前で報告するんです。ゼミ生がおごそかにアドバイスしてくれます。そして、「こういう本がある、こういう本がある、こういう本がある」と〔ゼミ生が言う〕。ほんと、恥ずかしいわけですよね。わたくしがゼミ生にこういう本を読んだかについて言っても、「先生、こういう本を読みはりましたか」――「うーん」っていう。だけれども、ものすごく勉強になりました。毎週私が報告するわけですが、一週間ごとに自分が変わっていくことを思います。一年前の自分と、今ここにいる自分と、この変化は何なんだろうか。これはとにかく、ゼミ生のおかげです。ゼミ生が私の作品ではなくて、わたくしがゼミ生の作品なんだ、というように思います。それは嬉しいことなんでありますけど、考えてみたら、ゼミ生にとっては迷惑でしょうねえ。わたくしが、松井清、行沢健三、小野一一郎、杉本昭七、この四人の、心から尊敬したあの「先生」というものを、わたくしは自分の卒業生の前に見せていない。すべて、自分から学んでくれる、わかってくれるのは上手な人なのかもしれないけど、少なくとも、教えてもらいたいという気持ちで接したときに何も教えてくれない人だった、というのが、卒業生のいつわらざるわたくしへの感情なんではないだろうか、というように思います。そういう意味では、この場を借りてですね、卒業生に対しては申し訳ございませんでした――そういうことをお詫びしたいと思っております。

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さて、本題に入っていくんでありますけれども、「クライシス」という言葉があります。単純に「危機」だというように訳されておりますけれども、これにはかなり深い意味がありまして、もう死に至る病、死んでしまうかもしれない、というような極限状態に陥ったときに、人間には爆発的な回復力というものが出てくる。その極限の一番辛い状態、そして、そこを乗りこえれば次は回復があるんだ、というのが「クライシス」という意味だそうであります。昔、月間『クライシス』という雑誌が出て、これも名付け親が、わたくしがまた尊敬する東大教授の森田桐郎――大物なんですけれども――が付けた名前なんでありますけど、そういうクライシスということを、わたくしは現代に嗅ぎ取っております。

で、いたずらに情緒的に学問を語ることはいけないことだと思っています。でも、今われわれがしなければならないことは、このクライシスをクライシスとして語ってみせることが大事なんでありまして、その語り方の中に科学的でないものがある、情緒的に流されすぎているものがある……あったとしても、今、今この瞬間にわれわれはクライシスの中に突入しようとしているんだということの時代精神ということを、少なくともわれわれは今、出しておかなければならない。露骨に申しますと、その中でディスクリプション=記述――とにかく書きとめておくこと――これが大事なことであって、そのディスクリプションが非科学的であるとか、ロジカルなものじゃないという形で捨てるところから、このクライシスの認識の方に曇りが生じるんだとわたくしは思っております。だから、今一番大事なことは、このクライシスをクライシスとして「語る」という姿勢、みんなが自分の立っている立場のクライシスを自分の言葉で「語る」ということ、これが今わたくしたちに残されている最も大きな課題であろうと思います。この姿勢が、日を追うにつれて次第に研究者、大学人の中から失われているということへの危惧というのを、わたくしは非常に強くもっているわけであります。

あとでお話ししますけども、そのときに、われわれが決まって時代精神の暗さから脱却したいと思うときには、アポロ的な、ギリシア神話のアポロ的な光り輝く姿でなくて、むしろディオニュソス的な、非常に暗い分野、荒ぶる魂、そういったものへの目配り、ということをしておかなければならないわけであります。まあ、何のことか、それだけでは分かっていただけないでしょうけども、次第に順番にご説明したいと思っております。つまり、つねにクライシスを語るときには、ディオニュソス的な、ニーチェ的な問題の立て方をしなければならないんだということを提唱した上で、実は何がクライシスというときに、生物史上、人類ほど短命に終る生物はないだろうと思います。ゴキブリのように何十億年も生きようとしても無理かもしれませんけれども、少なくとも人類は一億年しか生きることはできないだろう。歴史上、稀に見る短命な生物が、最も合理的にものを考えていたという、その愚かさに気づかなければ、われわれは現代のクライシスからの脱却はできない、というようにわたくしは心の底から思います。

そういう意味で、得体の知れない現代の世の中の不安、そういったものを語ってみせるということ。だからこそわたくしの好きなのはヘロドトスなんでありますけど、時代の証言者である、後世にその時代にあったことを示すんだという、そういう姿勢というものをもう一度思い起こすことが大事だ――これを、わたくしの最終講義のメッセージとして、受けとっておいてください。

考えてみれば、そんな〔語りがないという〕ことは昔から経済学では〔=経済学に関しては〕言われてきたわけでして、クライシスを語るのに一番情けない分野だと思います。ご存知のように、トーマス・カーライルが経済学を「陰鬱な科学(ディスマル・サイエンス)」といったのは、経済学の中にモラル、人倫のかけらもない、ということへの軽蔑感が人文学者たちから出されたわけですね。例えば、マルサスの『人口論』。現代の言葉でいえば、社会福祉は要らんという言い方ですね。人口が増えると貧乏人から最も苦しむ。だから、社会の落ちこぼれである貧乏人は子供を生まなくなる。そうすることによって自動的に調節されるんだ。こういう積極的な人口調整のメカニズムがあるにもかかわらず、貧民には子供の数に応じて福祉が出されていって、そして働かなくても食べていけるようなお金が出る。そういう貧民救出法ですね、こういったものの存在は非科学的であって、即刻やめるべきである、という。そういうような議論に対して、「何を〔言っているのか〕」というのがふつうの人倫であります。われわれ経済学者は、科学の名において、そういったとんでもないことを言ってきたわけです。それが人文学者たちにとっては鼻持ちならないわけであります。それが「ディスマル・サイエンス」ということの意味なのであります。で、例えばこういったことを批判した人としては、チャールズ・ディケンズがあります。チャールズ・ディケンズの中に『ハード・タイムズ』という小説があります。その中で、主人公グラッドグラインというのが面白おかしく出てきます。すべてを、数値化するわけです、すべてをデータ化するわけです。そして、自分の娘を歳の離れた金持の男に嫁がそうとするわけであります。そのときに、いかに金持階級〔の女性〕は歳の離れた年配の男と結婚するのが多かったか、いかにそういう数値がデータ的に確証することができるかということを、娘に「あの男と結婚しろ」というために説明しているところを冷やかしてゆく、という小説なのであります。で、そのグラッドグラインという主人公の名前が、今でも英単語の中では野卑た教育というんでしょうか、もう倫理のない詰め込み教育とか、そういったことを冷やかす言葉として生き残っているのであります。

あるいは、ラスキン――河上肇が惚れ込んだ男ですよね――なんかは、人間には情愛と貪欲があるんだ、その二つでバランスをとっているんだ、ところがその情愛というのは数値化することができない、データ化することができない。でも貪欲というのは、お金でものを買うわけですから、どれだけのものを買ったかということは数値化できる、したがって、経済学というのは、その貪欲の方だけとってしまった、貪欲の方だけとって「合理的人間」という言葉を出してしまった。そんなものは学問でも何でもないんだ、と言ったのが、ラスキンであります。

あるいは、最近注目されているE.P.トムソンという人がおります。あちこちで暴動が起こります。イングランドの歴史の中でしょっちゅう貧民の暴動が起こります。それを、暴動を暴動として見ないわけですよね。貧民には貧民のモラルがあった。古いモラルをお互い共有していた。それが、経済が市場化することによって、合理的なものだけが出されることによって、結局貧民は潰されてゆくんだ。そういったところでの暴動というのは、経済学が放逐・放擲してしまった古いモラル、そういったものを異議申し立てして復権しようとする動きなんだ、という、そういう形で歴史を見直そうとする動きが出てきている。そういったものを、わたくしたちは現代の問題として、本当に受けとらなければいけない。

あるいは、日本人の方から見ましたら、玉野井芳郎。現在の天皇陛下の先生だった人なんですけども。その玉野井芳郎さんは「経済学」という言葉を使わずに、「人間の暮らし」という言葉を使いたかった。あるいは清水幾太郎。これは、現代の科学、学問から、幸福の追求という姿勢が失われてしまった、ということを嘆いております。あるいは三木清。これは、現代の倫理の、破壊されてしまった現代の倫理の中で、新しい倫理を体現していくためには、人間がいかにすれば幸福になれるかという意味での幸福論をもう一度もってこなければいけないんだ、ということを言っているわけであります。あるいは、吉野源三郎という人がいます。この人は『君たちはどう生きるか』という本を岩波から出したわけでありますけれども、そのときに、人間は、見ず知らずの人間がお互いに商品の媒介によって関係を結んでいるんだ、と。で、どんな小さなものでも、多くの人々の手が加わっていて、非常にたくさんの人間の営みの中の、そのネットワークの中で人間は生きているんだ、と。ところが、お互いがお互いを知らない、赤の他人である。で、そういったことを考えようともしない。そういった、まあマル経的に言えば、それは生産関係論なんですけどね、そういう生産関係論的なものを若いときに見つけて、そして人間のネットワークというものをどう創っていくかという、そういったことを若いとき順に応じて身につけなければいけないんだぞということを、若い人たちにしゃべるわけですね。これは戦時中なんですよね。そういったことがあって、あの丸山真男なんかは、これぞ最高のモラル論だとして激賞した本なんであります。

こういったいくつかの人たちが、昔から経済学というのを、非常にこう、何とか現代社会に通用するものとしてやろうじゃないかということを提唱してきたんですけれども、わたくしたち残念ながら「異端」、つまりあいつは正統ではない、異端である、単なる記述=ディスクリプションだ、という形で、非常に大事なモラル論というものが経済学から消えてしまっているというのは事実であるとわたくし思います。そういうものに対する危機感を持ちながら、わたくしはずっとこの数年間ものを書いてきたわけでありますけども。人間が人間としてパッションをもって――ちなみにパッションというのは「受難」という意味ですね――パッションをもって生きながらえていく姿というのは、果たして科学なのか、明朗な精神だろうか。もっと荒々しい、もっと野蛮なものじゃないのか。そういったものを析出するところから、現代の危機ということの克服方法を考えていかなければいけない、というようにわたくしなんかは思っております。

実は私の中に『ノミスマ』という本があります。今でも懐かしい本なんです。ずいぶん昔に書いたんですけども。まあ、残念ながら人様に紹介されるときに『ノミマス〔呑みます〕』の著者ですと言われたことがある(会場、笑)。同じ出版社が、〔本の〕うしろに「ノミスマ」と書かなあかんのに、「ノミマス」と書いてしまっていて、そういうのがあって恥ずかしい目をしたことがあるんですけど、やっぱり「ノミスマ」という言葉の意味をわたくしは重視したいんであります。「ノミスマ」というのは、もちろんギリシア語の「貨幣」という意味であります。貨幣というのは、ノモスの産物、合意の産物――みんなが使おうと合意するから使われるんであって、いやだったらやめたらいいんだという、そういう意味では、自然の金とか銀ではなくて、人間のモラルの上に成り立つ、合意の、ノモスの産物だというのが、ノミスマだと。これが、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に出てくる解釈であります。やはりわたくしは、この考え方というのは、現代でもつねに卓説であろう、というように思っております。わたくしが貨幣論にこだわっているのはその一点でありまして、金利がどうなろうと、為替がどうなろうと、どうでもいいんです。その貨幣というもの、呪術的なものの中に、人間関係が凝縮されているとすれば、その貨幣関係をどう変えていくかということ、それが一番大事な課題だとわたくしは思っております。

皆さんの前でしゃべるのも恥ずかしいですけれども、「エコノミー」とか、「オイコノミア」というのは、当然アリストテレスの『政治学』に言葉の出自をもっているんですよね。「オイコス」というのはアリストテレスのいう共同体のことであります。オイコス。そして、オイコスの学問、オイコスをどう管理するか――それが「オイコノミア」。残念ながら、わが日本の翻訳文化の中では、「オイコノミア」が悲しいことに「家政学」と訳されてしまっているんですね。それが経済学なんでありますが。ちなみに、「倫理=エシックス」のもとは「エートス」という言葉から出ております。「エートス」というのは「住み慣れた場所」、そういう意味なんであります。単なる「精神」じゃないんです。住み慣れた場所。そういう意味では、住み慣れた場所の管理、エートスの管理、これが「オイコノミア」だったという、こういうことです。共同体としていかに生きていくべきかというのが大事になってくる。

ニーチェがソクラテスを非常に厳しく批判して、その中で「個人」、ギリシア的「個」というものが歴史的な産物から放たれて、絶対的自我として出されてゆく、自我の箱にして出されてゆくことに対して、ニーチェは非常に厳しく「ソクラテスはモラルを追放してしまった」というように批判しているわけであります。まさにそういうことが言えるんじゃないかと思います。

で、そういったことをものすごく真剣に受け止めていって、経済学を叩き直さなければならないんだということを、非常に厳しく経済学の大家として、自分の中の問題だとして受け止めたのが、実はJ.S.ミルであります。で、われわれはですね、『ミルとマルクス』という名著を書いた杉原四郎先生という人のそばでずーっと勉強させてもらっているのに、人間近かったらあかんのですね。遠い人だったら素直に読んだんだろうけれども、近かったら色んな属性が入ってくるもんだから、読まなかった。「しまった!」というのが今のわたくしの心境なんでありますけれども、J.S.ミルに今は惚れ直している。何でマルクスと同時代人なのに、マルクスはあれほどJ.S.ミルの悪口を書いているのに、J.S.ミルは一行たりともマルクスについて書かないだろうというのが疑問だったんでありますけれども、考えてみればJ.S.ミルにとってマルクスはガキだったんでしょうね。そういうことが、「ああそうか」というようにだんだんと分かってきだしたということなんでありますけども。

実は、話があちこち飛びましたけれども、J.S.ミルは父親に対するものすごい尊敬とものすごい反感ですよね、それはもう、ほんとに親子関係の典型例として出てくるわけでありますけども。マコーレー大佐ですね、マコーレーが親父のジェイムズ・ミルの『統治論』という本を非常に厳しく批判するわけであります。つまり、絶対君主政は必ず人間の敵だということを言うわけでありますけど、絶対君主というのは暴君で、自分のことしか考えない。そういう人間がつくりだす絶対君主の統治というのは、民主主義から程遠いものだという。これは正しいですよね。正しいですけども、マコーレー自身は、ジェイムズ・ミルの絶対君主は暴君だという、先入観的人間観から離れて暴君だと規定してしまって、そのひとつの出発点、それを固定して、そこから演繹的に理論をつくり出して『統治論』というものすごく大きな政治学をつくり出したということに対する厳しい批判をしていくわけですね。〔J.S.〕ミルがそこに悩むわけであります。つまり、人間を説明しようとすればディスクリプティブな説明しかできないんだ。だけども、科学たらんとすればロジカルな形で論理を組み立てていくしかないんだ、と。アナリティカルな形で組み立てていくしかないんだ。その中で彼が苦しんで苦しんで書いたのが『論理学体系』であります。で、『論理学体系』の中に――その副題が「論証と帰納」――現代社会の中に複雑な要素の中の少数の要素に決定因をもち、そこから演繹的に理論を組み立てていく議論というのは間違いだとしたんですね。むしろ帰納的な形で、色んな要素の相互関連に目配りしながら、そこからひとつの帰納で一般的命題を出していく。しかし、その一般的命題は必ず時代とともに変化してしまう。したがって、新しい時代の新しい状況のもとで、帰納的に一般的命題を叩き直していかなければならない。これが論理学であります。ところがわれわれは、カントやフィヒテを論じるときにロジカルな形の論理しかないんだというように論理学を受けとってしまっている。そういう意味での、わたくしは間違った解釈があるだろうと思います。で、J.S.ミルの言葉をそのまま伝えますと、「現象を決定する少数の要素から演繹して理論をつくるのは哲学的な方法ではない」という形で説明していくわけであります。で、彼自身の『経済学原理』ですね、これも副題が「社会哲学への若干の適用」、こういう言い方をしているわけであります。そして、『自伝』です。『自伝』では、「経済学とは……」、ミルの言葉をそのまま伝えますと、「……他のすべての部門と密接に絡み合った社会哲学の一部門である」。こういう記述があるわけであります。

さきほど、西村研究科長が国家の品性、品格ということを話されましたけれども、まさにミルはそれを問題にしたわけでございます。われわれ単純に「性格学」と訳しますが、正しくはミルの「エトロジー(ethology)」ですけれども、「エトロジー」を「性格学」と訳します。これは実は、ジェイムズ・ミルが“the formation of character”、「性格の形成理論」というのをつくったわけであります、1812年に。で、それを引っかけてミルは「性格学」というものを出してきたんですけれども、現代の言葉で言えば、「時代精神」あるいは「品性」「人間の品性」というように訳した方がいいんじゃないかと思います。つまり、経済学が神の掟のようにある法則を発見するということが間違っているんだ、と。むしろ、人間が管理できる社会体制というものが大事なんであって、その体制が社会の進展・変化とともにどのように内容が変わってきたかということを「記述」することが大事なんだ、ということを少なくともミルは強調したわけであります。これがエトロジー論なんであります。それをわれわれは「性格学」とやってしまったから、ちょっとずれてしまっているんですよね。で、ミルに言わせれば、「科学(science)」の上に「アート」がある。上位概念です。で、そのアートの上位概念に「目的」があるんだ、と。目的とは何か。幸福である。幸福を追求する技術がアートである。で、それを後で説明していくのが「理論」だ。こういうような説明の仕方をしていく。具体的に〔その「目的」とは〕何かと言ったら、「自己陶冶」、自分を研鑽すること、まさにニーチェの言う「超人」――「超人」というのは“superman”じゃないんですね、「超‐人」、人を超える、自分を絶えず超えてゆくもの――こういった部門を論理化していくこと、つまり幸福の理論というのをどうつくっていくかということなんだという、そういうことであります。

で、やっぱり、『自伝』というのは、――この二日間『自伝』ばっかり読んでいたんですけど(ミルの)、やっぱり涙なしでは読めないわけでありまして――これはもう父親に対するものすごい「憎悪」以外の何物でもないですよね。父親のもつ天才性を見ながらも、自分は父親によってつかまれたんだという。ものすごいもんであります。例えば、『自伝』の中味を見ていきますと、「わたくしが受けた教育は、愛によるものではない。わたくしの受けた教育は、恐怖によるものである」。こういったことが、悲痛な告白として出てくるわけであります。で、『自伝』は全7章からなっております。で、最初の〔第〕一章から五章までは24歳までのことであります。全7章のうち、五章までが24歳まで。それから六章で32歳までであります。24歳から32歳まで。そして、残りの七章で、その後の33年間が、つまり残りの七章1章だけで〔扱われる〕。それも非常に短い。しかも彼の著作の中では、その後半生が――ものすごい天才なんですけど、やはり彼の著作の圧倒的部分が後半生の中に特にいって〔=集中して〕いるんですけれども――これがわずか1章のちっちゃな行数に集約されてしまっている。このような変わった自伝なのであります。

で、何のためにそれをいったのかといったら、結局、父が尊敬するオーウェンですね、まさに空想的社会主義の。このオーウェン、かなり父親はそっちの方に影響されていたんですけれどね。だから、J.S.ミル自身にも社会主義論があります。これは父親との問題だと思っているんです。で、彼は父親の“the formation of human character”というものに対して噛みついていっているわけであります。つまり、どういうことかと申しますと、「わたくしは子供らしい遊びをさせてもらえなかった」。耳が痛いです。「遊び仲間からも遠ざけられていた。3歳からギリシア語の教育が始まった。8歳からラテン語の教育が始まった。12歳になると辞書なしにそれらを読めるようになった」ということ、そういう意味では早期教育の成果はあるということをいうわけであります。そういう語学的なものっていうのは早ければ早い方がいいんだと。それを認めながらも、「自分は道徳面において発育不全に陥ってしまった」。こういうことであります。で、「自主的な、自然の道徳的な感情の発露が実はなかった」。にもかかわらず、15歳でベンサムを父親から読まされて感動した。「わたくしもこういうベンサムのような天才にあやかって、世の中を変えるエリートになりたい」と、15歳のときにそれを思ったんですって。ところが20歳に入った瞬間に、極度のうつ病になったわけであります。それは何かと申しますと、自分の望みがすべて叶ったとしよう、そして父親が要求するとおりの人間として、エリートとして自分が世の中の改革者、旗手になるとしよう、そして自分自身が変えたいと思う世の中を、そのとおり思いどおりに変えたとしよう――そうすればお前は幸福か、ということを自分に問うたときに、自分の奥深い良心のところで「ノー」と言った、ということであります。結局、葛藤のすえ、自分は科学的につくりあげられた希望なき奴隷だという認識に達するわけであります。ですから、そこから脱却するためにはポエムなんだ、ということですよね。詩なんだ、まさにプシュケーなんだ、詩なんだ、ポエムなんだ。こういったものを発見するわけで、そしてワーズワースとかコールリッジという詩人の詩に読み耽っていって精神的な危機を脱却したということであります。そして、それは偶然からきた。自分の内部で発酵している、迸る感情があるわけです。その感情を自分は科学の目で見るんでなくて、虚心に見た、人間として見たということであります。そして自分がもはや科学的につくられた目的でもなくなった。これは教育じゃないんだ、差し迫った精神の必然性なんだ、ということにやっと自分は気づいた。で、そこで二つのことを自分は学んだ。大事なことは「生活学(the science of life)」をつくりあげることなんだ。生活学とは何かといったら、「幸福になろう」、そういう思いなんだ。二つ目。これがすごいんです。分析をするという習慣、アナリティカルな習慣は、感情を殺してしまう。必要なことは、道徳的・哲学的感性を高めることである。そういったことをミルは『自伝』で説明していっているわけであります。

だから、早期教育の失敗だ、父親の悪口だと一般に〔言われていますし、〕わたくしもそう受けてとめています。しかし、今回読み直してみたら、そうじゃない。科学的であろうとする、アナリティカルなことであろうとして、ディスクリプティブな記述を軽蔑するところから人間らしいみずみずしい感性が奪われちゃうんだという自己認識なんです。これが彼のエトロジーなんです。

ところが、現在のアメリカの文脈から見ましたら、“character”とか“science of character”という言葉は使われております。これはどちらかというと、アメリカ企業研究所をはじめとする、どちらかというと右寄りのシンクタンク、その連中たちが多用するJ.S.ミル論であります。これはおそらく、共和党から見たときの、モラリッシュな共和党から見たときの、デモクラット(民主党)のもつ性的放縦性というか、情けなさというのか、あるいはクリントンのような情けない下半身、下ネタ騒ぎとか、ああいうものに対して「品性」という言葉を出していって、そこにミルを使っていったんだと思います。だけどこれは間違っているんであって、むしろ、アナリティカルなものに対する自然の感情の発露という、そういったところを少なくともミルは強調しようとしたんだ。こういったことが、わたくしは一番大事なことではないだろうかというように思って、今ミルの見直しということをしているわけであります。

で、こういう目で過去自分の読んできたものを見直してみると、まあ特別この一月でわぁーっとこう結びついてきたんですけども、若いときに読んだエッカーマンの『ゲーテとの対話』というのを思い出します。「そうか、そうだったのか」という〔ことを思います〕。みなさんご存知だと思いますけれど、ホメロスですよね、あのホメロスというのは一人であったのか、それとも複数の人であったのかという、まさに近松門左衛門が一人か複数だったか、あるいはシェイクスピアが一人か複数かという、あの問題です。で、ホメロスというのはギリシア人たちがつくりあげた偶像であって、特定の、単独の、一人の詩人じゃないんだということを得々と語るのが、ゲーテのお友達――親友だそうです――であった、ベルリン大学古典文献学の権威であるルードヴィヒ・アウグスト・ヴォルフという人がいるわけであります。これを、ゲーテは激怒する、親友でありながら、その論文を見た瞬間に激怒するわけであります。詩人とは、歴史を乗りこえてもっと高いもの、もっとよりよいものを提示する義務があるんだ。ところが、小ざかしい文献学者たちはそういったポエムを圧殺し、殺してしまう。ちょうど湖に突然氷が張ったら、その氷の上に滑りにくる多数の人が出てくる。でも、その氷の下の湖の実態というものは、判然としない。で、すぐさま飽きてしまって、また別の話題を探す。そして、何らかの文献を発見したといってまたそこに飛びついていく。

ゲーテの言葉でいえば「科学は愛を死滅させる不毛の世界に人を導く。ヴォルフはホメロスを破壊しようとしたが、ホメロスのポエムをついに乗りこえることはできなかったではないか」。ギリシア人たちは歴史を学ぶんじゃない、歴史を演じるんだ。そういった多彩な才能の持主たちであったんだ、ということ。つまりホメロスという者の持つ、ものすごく天才的な詩ですよね、人を鼓舞していく。そういった詩、ポエムに対する感動、そういったことを「科学」の名において圧殺してはいけないんだ、ということをゲーテは言うわけであります。なるほどな、というように思います。

で、西尾幹二という人が――例の「国民の教科書」を書いた人で――なかなか面白いことを言っているところがあります。「凡庸な市民の価値観が科学と結合するときに学問は貧弱になる」――こういう言い方しています。「歴史解釈とは、どこまでも、危機感を抱く主体の反映でなければならない」んだ。こういうようなことで、「へぇー」ということで、ちょっと西尾幹二さんを見直したんでありますけど、そういうことを書いております。

 で、はっきりと「悪魔は歳をとっているので、お前たちも早く歳をとれ」と言ったのが、ご存知のようにマックス・ウェーバーであります。ナチズムが台頭してこようとしているときに、多くの若者は歓呼の声をあげて、そういった動きに付和雷同した。そのときに、ウェーバーなんかは授業中に生卵をぶつけられていくわけですよね、若者から。で、その中で結局、ブントという若者たちの集まりの中に彼が招かれて――まあ敵陣ですけども――彼が言った言葉が、「分析的な知、科学的な知のみに価値をおくのは、若さの傲慢である」。悪魔=敵は、ほんとはものすごく歳をとっているんだ、だからお前たちも一刻も早く歳をとれ。つまり人間のもつドロドロとしたものに対して認識を早く固めろと、そういうことなんですね。これが『職業としての学問』という中で出てきている。まあご存知だと思います。

で、これを最もやった、つまり全著述家の中で最も若さに対する挑戦をやった男が、わたくしはニーチェだと思っております。つまり、西洋文明、ギリシア文明の継承者としての西洋文明は、若さということの脅迫観念に晒されているという批判から、彼は例えば『善悪の彼岸』というのを書いております。もうお気づきになりますように、「彼岸」と言う言葉は仏教用語であります。つまり、天と地、真理と偽(にせ)というわけではなくて、あちらとこちら、彼岸と此岸、この分け方なんですね。そして、ニーチェ自身は、仏教というのは老人を尊敬している分野〔文化〕だ、それに比べればわれわれ西洋文化というのは、何と若造の、生半可な思想を振り回すような、子供の学問だということを、ニーチェはしきりに言うわけですよね。

で、中山茂という人がギリシア哲学〔研究〕者にいるんですが、これが面白い人で、ギリシア文明というのはどこまでも光の当るアポロン的世界だ、何もかも曇りなく隈なくくっきりと描き出す彫刻であり絵なんだ、それに対して東洋というのは、ボーっとしてすべてを描かない、端っこの方は空けてしまう、空白をおいてしまうんだ〔と言っております〕。で、そこで人の心をうつのは、寒い雪山の中で枯れ木を拾っている老人の姿なんだ。つまり、アポロンの姿、若い男女の均整のとれた肉体美を賛美するんではなくて、老人のあの枯淡の境地というものを東洋人たちは美意識の中においた。ヨーロッパでは、アポロンが山の中に入って焚き木を拾っている姿など想像もできないだろうという、そういう噴飯的なものを言うわけでありますけど、そのとおりだなあというように思い始めたわけであります。

だいたい、西洋の文化を克服して、アジアの文化の特権だというときに、だいたいわれわれというのは不思議〔=不信に思うわけ〕なんですよ。その怖さはよく承知しているけれども、若さに対する脅迫感、そして若さのもつ傲慢さというものに対して、ここでは老人は一丸となって「ノー」と言わなければいけないんではないか、とわたくしは思っております。本音を申しますと、これだけ忌わしい世の中で「ノー」と言えるのは私らオジンばっかりですよね。若者たちはむしろ時代に迎合しているわけです。こういうことに対して、やっぱり最後の言葉として、わたしはこの老人の言葉というのを言いたいのであります。

具体的に申しましょう。アレキサンダーは16歳で植民地を建設しております。20歳でマケドニア王に即位しております。そして、26歳でペルシアを滅ぼしております。で、シーザーからローマ皇帝の後継者として指名されたアウグストゥスは19歳。23歳でローマ皇帝であります。こういった文化というのは、果たして正しい文化なんだろうか、というように思うわけであります。だから、ニーチェのように、神は死ななければならなかった。「神は死んだ」というところから、人間の自由を取り戻すという、強迫観念から逃れていくという、イニシエーションをヨーロッパ人たちはしなければいけなかったわけであります。

で、思い出すんです。なぜわたくしはマルキストになったんだろうか、というときに、実はわたくしは、高校時代から大学時代にかけて出隆(いでたかし)にずいぶんと凝っておりました。で、ギリシア哲学、つまりソクラテス以前のギリシア哲学にずいぶんと凝ってたわけで、こんな才能がないのに、京大文学部の哲学科に入りたかったんです。まあ、今にして思う、「よう無謀なこと考えたなあ。あのまま行っていたらわたくしノイローゼになって、まあ無理だろう」とね。まあ分かる〔と思います〕、哲学科はすごい。すごい人材を出している。

で、今話それてしまいましたですけども、実は、なぜマルキストになったんだろうかというときに、カール・マルクスの処女作を読んだんですね、学生時代に。「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」というものであります。つまり、ずばり申しまして、ソクラテス、プラントン、アリストテレスという流れ、光の当る流れだけでギリシア哲学を論じたのは間違いなんだ。そのもっと前、イオニア哲学から始めなければならないんだ。エーゲ文明そのもの、クレタ文明そのものを見直していかなければならないんだ。そのときに、プロメテウスの神話があるんだ。で、プロメテウス、つまり「私はすべての神を憎む」という言葉、つまりこの告白、すべての天上の神、地上の神、こういったものに反抗するところから哲学は始まったんだという意味、そういう意味では、「メタフィジック」という「メタ‐フィジック=自然の後ろ」に神が控えているんだという形而上学は間違いなんだ、こういう議論をカール・マルクスが出してきた、というときに、わたくしは随分とマルクスにこだわったし、いまだにマルクスをよう捨てないがゆえに若い人たちから馬鹿にされているんですけどね。だけども、そういったみずみずしい精神を、少なくとも持ってた。それが、J.S.ミルと同時代人のマルクスであったという。まあ、はっきり申しますと、もう少し杉原先生から教えてもらってたらよかった、まあまあまだ生きてらっしゃるけどね(会場、笑)。だけど、近すぎて、だめですね、人間近かったら。ある程度距離を置かなければ、その人の偉大さは分からないんですね。まあ今頃になって「しまった」と思って。まあまあ、まだ間に合うから、勉強させてもらいますけども。そういったところに問題があったんですよ。で、プロメテウスというのがどういう人か、神かといいますと、結局タイタン――タイタンというのはつねにゼウスに対して従属していく巨人像なんですよね――の中でプロメテウスは一人裏切って、人間を作り変えようとしたゼウスに対して反抗するわけですよね。そしてゼウスから怒られて、岩山に縛りつけられるということですよね。で、ヘルメスが救いに来たんですけども――ヘルメスというのは、ちょっとここでは言いませんけども、複雑なギリシア文明の陰陽を表すものですよね――、このヘルメスが救いに来たんだけども、プロメテウスは傲然と引き返し「威張らせておけ、ゼウスは威張らせておけ。どうせ長くはもたない、あいつは長くもたない」という形で、神にすらあいつはダメだというような悪罵を投げつけたという、そのプロメテウスに惚れたのがマルクスの最初の博士論文です。だから、そういう面から見たときに、あの「巨人」というものの意味、マルクスの「巨人」というものの意味が、わたくしは分かると思います。

さらにニーチェは、ディオニュソスというものを、「アポロンとディオニュソス」という形で、光り輝くアポロンに対して闇のディオニュソスをもってきます。これは何かと申しますと、色んな説があるんですけれども、ゼウスがディオニュソスを生んだ、と。で、まあ浮気して生んだんですね。で、それをヘラが嫉妬して、タイタン族によってディオニュソスを殺そうとした。ゼウスは世の中の支配者をディオニュソスにしようとした。だけど殺されそうになった。だからディオニュソスは色んな動物の姿に変えて、蛇の姿に変わったり、羊の姿に変わったりして、逃げ延びた。で、雄牛の姿のときに、ついに捕まって八つ裂きに殺された。そして、八つ裂きに殺されて死んだ。その中で、ゼウスが怒って雷(いかずち)を出してきてして、タイタン族を全部焼き殺した、ということです。そして、人間たちがディオニュソスの生肉を食べて、ディオニュソスの生血をすすり、そうすることによって人間としての復活を遂げようとした。で、この信仰がずっと東側から西側の方へ流れていった。で、ギリシアに入ったら、ディオニュソスが荒ぶる魂ではなくて、豊穣の魂になっちゃった。つまり、生肉がパンになった、生血がワインになった。そして、何とアポロンと対立していたはずのディオニュソスが、アポロンの壁画の向かいに、ディオニュソス像として、二つの神様として祭られるようになった。そういったことをニーチェは指摘していくわけであります。

そして、さらに出隆に至っては、実はそういったディオニュソス信仰、あるいはディオニュソス信仰を宗教に高めていって「オルペウス教」というのがつくらり出されていく、そのオルペウス教に影響された者が、実はピュタゴラスであった〔ことを述べている〕。で、ピュタゴラスというのは――みなさん「ピュタゴラスの原理」をご存知でしょうけれども――魂がつねに彷徨う姿を描いたわけであります。で、人間の肉体というのは魂の墓なんです。この忌わしい肉体を消滅して純粋の魂を出していかなくちゃいけないんだけれども、つねにそこで失敗する。その、未来永劫失敗する苦しみの中から、実は人間の実体が経験されていって、魂の浄化というものが出てくるんだというのが、実はピュタゴラスなんであります。で、彼はご存知のように、地動説を唱えていた人であります。こういった考え方というのは新しいプシュケー論なんでありますけども、それを先程も言いました出隆が非常に強く惚れ込んでしまうわけであります。

で、実はプラトンがずいぶんとこのピュタゴラスに影響されております。特に、プラトンの最高の翻訳といわれている『パイドン』なんであります。わたくしのゼミ生のお父さんが『パイドン』の翻訳家として有名なんですけど。その『パイドン』では完全にピュタゴラス派の考え方なんであります。ところが、出隆に言わせると、ピュタゴラス派をギリシア哲学から抹殺したのがプラトンである、ということなんです。「何を〔言っているのか〕」と言いたくなるんでありますけれども、分からんでもない。プラトンというのは固有名詞ではないんですね。「肩幅の広い闘牛士」という意味なんですね。だからそういった猛々しいニックネームをずっと使ってきたというところに、プラトンの怖さをわたくしは感じます。だから、アリストテレスがプラトンに近づかなかったということはよくわかります。まあ、いずれにしましても、プラトンから、どうもギリシア哲学というのから異端者が排除されていって、それこそピュタゴラス学派というものが崩れていったんだろう、あるいはイオニア学派というものが抹殺されていった、というような、こういったものを復活さそとした、それがマルクスであり、ニーチェであった。そして、わが日本では戦時中の弾圧下のマルキストであった出隆であった、ということを考えてきたときに、わたくしたちは大変な財産をかつてもっていたんだ。その大変な財産を、どこかに置き忘れてきてるんじゃないのか、ということで、それを少なくとももう一度拾い直していくんだという姿勢が必要じゃないだろうか、というように思います。少なくとも、マルクスが異端のイオニア哲学を救済しようとしたということの意味合いというのは、やっぱりわれわれは、われわれのこととして考えておくべきじゃないだろうか、というように思っております。

ちなみに「神は死んだ」という言葉は、実はプラトンの言葉なんであります。プラトンが『パイドロス』の中で、「親愛なるパンよ……」〔と言っている〕。「パン」というのは「牧神」という意味なのであります。で、ギリシアがいよいよ終わりだ、次はローマの時代だというときに、最後のギリシア詩人だといわれているプルタルコスが、「大いなるパンは死せり」という言葉を言ったんですね。つまり、ギリシア哲学はここで終った、と。実は、近世になりましても、この言葉は使われてきたわけであります。パスカルの『パンセ』、これは「神自身も死せり」ということを言っているわけであります。何と、あのカントが、少なくとも「宗教というものは、単なる理性の限界内にとどめておくべきである」、そういうような議論を展開しているわけであります。で、さすがに皇帝は怒り出して、結局は大学から追放されるわけであります。ヘーゲルですら言っているわけであります。「現代人は神が死んだ後の無限の苦悩を背負わなければいけないんだ」と。その中で、相互認知が大事なんだ〔と言っている〕。フランシス・フクヤマが、近代社会というのは、もう戦争が起こらないんだ、というときに相互認知、相手を認知すればすむんだと言う。この考え方というのは、実はヘーゲルにあるわけであります。まあ、ヘーゲルは、それが行き過ぎていってしまうということ、大国が小国を呑み込んでしまうんだということから、人倫的な国家を叩き直さなければいけないんだということを言うわけなんでありますけども、少なくとも「神は死んだ」というその共通項の名から人間の寂寥感というものを言うわけであります。

で、考えてみたら――「考えてみたら」ばっかり先程から言ってましたけれども――もう少しわたくしたちは、右寄りの流れに沿う可能性がある、怖さががあるけれども、もっと日本的なもの、東洋的なものを認知しなければいけないんじゃないだろうか。ヘーゲルを議論するんだったら、同時代人の本居宣長を議論すべきじゃなかったのか、というように思います。

で、本居宣長の中で、とんでもない面白い指摘がありまして、その中に、『古事記』のあの国生みですよね。その『古事記』の国生みのときに、最初の子供が蛭子(ひるこ)なんですよね。で、そこでイザナギ、イザナミが悲しんで、葦舟に乗せて流してしまうんですよね。で、また次の子供をつくろうとするけども、「怖い」と。そこで相談しようじゃないかと言って。面白い〔ことに〕、日本の神様は官僚世界なんですって。イザナミ、イザナギがわれわれは最高の神様やと思ってるのに、その上にまた神様がおる。それが天つ(あまつ)国の神様、天つ神。天つ神様がいる。その天つ神様が面白いんですね。相談を受けた。で、おごそかに「ああしろ、こうしろ」という絶対神じゃない。「わかった。今から占う」と言う(会場、笑)。これ面白いですね。神様が占うわけです。鹿の骨で占うわけであります。それで、占いの結果が出たと。イザナミの、女の方から声をかけたからいけないんだ、と。「黙れ」という形で、「はい」という形で日本が生まれてくるわけですよね。この国が生まれてくる。こういうことなんでありますけれども、これを本居宣長はものすごく褒めるんですよ。少なくとも、絶対的なものの存在を認めながら、それが何であるかを確定しない曖昧模糊とした精神。「〔敷島の〕大和心を人問はば〔朝日に匂ふ山桜花〕」と、それこそあちこちになるとボーっとしてくるあの山桜ですね、あれだというんですね。それが日本的精神なんであって、これをああやこうやと文献学的に解説することは間違いなんだ、冒瀆(ぼうとく)なんだ〔と言うわけです〕。「おお」っと思います。少なくとも西洋人が「神は死んだ」ということをいう、あの脅迫観念――縷々説明しましたけれども――そこから逃れなかったら自由という概念を手に入れることはできなかったというほど、神は桎梏なんです。それに対して、何と日本人は伸びやかな。神様というても、とんでもない神様と違うわけで、神様自身頼りなくて、占いしなければならない神様という、この伸びやかな、自由な精神の中にわれわれは育まれてきたんだということをもう一度思い起こそうという。すでに、江戸時代の本居宣長がそれを言っているわけです。「ふぅーん」と思ってしまうわけであります。

で、今まですぐそういったことを言うと、かつてね、アングロサクソンの悪口を言ったところから日本は右傾化し、帝国主義になり、軍国主義になっていった、この説はいやというほど思い知っているんだけれども。しかし「ファシズム」というのは、今でこそ悪い言葉だけど、生まれたときは「組合主義」という、資本と労働の協調路線です。資本家もない労働者もない搾取もないんだ、みんな組合でいこうじゃないかというのが、ファシズムなんです。ナチズムというのはマーケット・オンリーでなくて、少なくともそこに社会的市場も入れようじゃないかというように、「国家社会主義」なんです。そういう意味では、結果的にはわれわれはとんでもない犯罪を犯したけども、少なくともその心底の中には、アングロサクソン的なマーケット・オンリー論に対するアンチテーゼをつくろうとしたんです。これが軍国主義に結びついたから失敗したけれど、少なくとも先人たちがアングロサクソンに戦いを挑んで敗れ去って、人類の敵だとまでレッテルを貼られてしまって、そういうことをしたけれども、少なくともそこで問おうとした精神、これは、まあおそらく今日のテーマでもありました「シンパシー」、このシンパシーというものをどうみんなで共有するかということの苦闘の産物だと思います。ただわれわれは「アジアに帝国主義的侵略をしました、悪うございました」ではなくて、なぜあの問題が起こり、なぜあの問題をやろうとした〔=解決しようとした〕ときにわれわれは失敗したのかということの、そういったことの作業というものがどうしても必要なんだ、というようにわたくし思います。「戦争を起こした日本が悪うございました、すみません」ではすまないんです。また起こるかもわからん。そのときの精神状況が、わたくしが今日説明したことではなかろうかと思うわけであります。

最近ニーチェに凝ってるのは、ニーチェのデューラー論に惚れてしまっているわけであります。ご存知と思いますけれども、デューラーの十字架に磔になった神イエス・キリスト、あれは神様の顔と違うんです。人間の顔なんです。群衆も何も描いていないんです。レンブラントなんかでは群衆がわぁーっと描かれていて、ユダヤ人がいっぱいおるわけでありますけど、ピラトの顔まで、憎々しげな顔があるわけですけど、デューラーのイエス・キリストの天を仰いで、人間としてのイエス・キリストが、人間として神様どうしてわたしはここで死ななければならないのか、という、絶望に満ちた悲痛な眼なんです。これをデューラーが描いたんです。で、この絵を見てビックリしたニーチェは、ワーグナーに送ったんですね。で、結局多くのヨーロッパ人たちが、近代的な自我で圧殺されようとしたヨーロッパたちが、そこに「絶望」ということの意味を自分のものにしようとしたわけであります。ちなみに、「希望」という言葉はみんな間違って使っているんです。「希」というのは「薄い」と言う意味なんです。ありえないということなんです。「望」というのは「望み」。だから、望みがありえないことを「希望」というんですね。ですから、希望イコール絶望なんです。で、その絶望感に浸り、デューラー的なイエス・キリストの苦悩をわがものとしたところから「主体」というものがあるんだと思うんです。その主体から初めて、人間の悲しみと辛さと残酷さということをみんながわかった上で「シンパシー」とう言葉が出てくるんだと思うんです。単なる表面的な「人を愛しましょう」という、そういうもんじゃなくて、絶望を乗りこえたところから「シンパシー」論というのが出てきたんだという、かつての偉大な人たちは、それをつくろうとしたということ。で、まだ未完の本〔エトロジーの体系書〕ではありますけど、少なくともJ.S.ミルはそれをやろうとしたということ。そして、それのエッセンスが、先程申しましたように、自叙伝の中にあった、というところで、わたくしは当分ちょっとミルにこだわるつもりなんでありますけれども、そういう流れがあったんだということをわかっていただきたいと思います。

で、最後にビンズワンガーという人がおります。ドイツ人。このビンズワンガーが『精神分裂症』と言う本を書いております。これはすごい本であります。その中の、わたくしの心を捉えたのは、「耳の中の声」という言葉なんですね。多くの人たちは耳の中の声にそそのかされている。「走れ、走れ、走れ」とそそのかされている。それが、ある時代には「マーケットに従え」という、ある時代には「資本の論理に従え」という、ある時代には「健全な市民になれ」という、そういう囁き。これが実はあって、その囁きの中から「違うんだ」という、自分たちはその囁きによって毒されて、完全に〔不本意な行為を〕させられてしまっているんだという、そういう精神分裂症に陥った連中たちの声を聞け、というわけであります。で、それは現代社会が病んでいるんだと、その病んでいるときに、得々とどう病んでいるかという〔ことを説く〕よりも、悲痛な魂の叫びを「採集する」こと、そこから学問というものは始まるんだということを、ビンズワンガーは言っているわけでありまして、わたくしまさにそうじゃないだろうか、というように思っているわけであります。

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えらく時間早く来てしまいましたけども、実は、「たったこれだけのことを」と思われるかもしれませんけれども、わたくし実はA4で、40行のA4で、大体100枚を超えた大論文を作ってしまって、本当にエッセンスをやってしまったわけなんでありますけれども、ぜひわかっていただきたいというように思います。で、最後、ずいぶん早く終っちゃいましたけども、これを書いて、自分で和歌をつくりました。下手な和歌なんですけども、ここではちょっと恥ずかしいですけど、読ましていただきたい。

忌わしく わが身を食らう 日も終わり

 赤子に帰る 春来るらし

あまり解説すると恥ずかしいんですけど、「やっと終った!」というね(会場、笑)、ことでありまして。これからは新しい人生を自分で獲得するぞ、ということです。

ちなみにわたくし、岩本君のお世話で福井県立大学に行くことになりました。で、卒業生もいらっしゃるんです。喜んで行く理由の一つが、人間の心をつかむ宗教的感動という、そういったものがどこから生まれてきて、われわれはどうそれに取り組んできたのか、ということを、少しでも経済学をかじった人間として、別の視角から、そういった社会的な宗教的決断というものを見直してみたい。そういうことをしたいと思っている心にとっては、どうも福井というのは一番最適であろうと、勝手に考えているわけであります。そんなん勉強させてくれるかどうか、わかりませんけれども(会場、笑)。ちなみに、福井の大学の住所が「永平寺町」であります(会場、笑)。もう、それだけでも行く価値があると思います(会場、笑)。そういう意味で、少し模様替えしまして、ウェーバーみたいな偉い人にはなれないでしょうけれども、ウェーバーの十分の一くらいまでやりたいな、というように思っているわけであります。繰り返し申しますけど、人間をパッションに駆り立てていくのは科学じゃない。ポエムだという、そのポエムが忘れられたときに学問の堕落が始まったというように思います。そして、このわれわれの経済学に一番欠けている分野が、今わたくしが申したことなのではないか。ところが、これも若い学生たちに教えてもらっているんですけれども、ヨーロッパでは、特にイギリスでは、こういった分野というのが、今華やかに、華やかかどうか知りませんけれど、ものすごく多くの人々の関心を惹きつけている。そういう意味で、わたくしども日本がかなり遅れているのは確かなので〔はないかと思うので〕あります。こんなことも全部若い人たちから学んだんで、ほんとに恥ずかしい、恥ずかしいんでありますけど、まあ福井行きましても、みなさんこれでおさらばというのでなくて、またわたくしに新しい材料を送ってやっていただきたい、というように思っております。

以上でございます。わたくし二時間しゃべらせろと言ったものの、一時間で終ってしまったんで、ここで、すみません、わたくしの最後の講義を終らせていただきます。(会場、拍手……)


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